拝啓、経営者様(事業責任者様)
多様化しながら深化を続けるIT技術の裏で、エンジニアの需要は今も昔も常に供給を上回って推移し続けており、ゲームプログラマ、フロントエンドエンジニア、バックエンドエンジニア、インフラエンジニア、フルスタックエンジニアいずれも慢性的な人手不足を背景とした非情なまでの人材争奪戦が日常的に繰拡げられています。
プロジェクトを円滑に進めるための第一関門はチームの組成にあり。
これまで関わってきた多種多様な炎上案件を鎮火させてきた知見からも、要件に見合った能力適正のあるメンバーや開発会社を選定することがとてもとても重要と考えています。軽視した際に陥りがちなパターンを挙げてみます。
(序盤)それなりに進捗が出ているように見える
(中盤)プロジェクトの進捗が思うように出なくなり停滞感と期限が気になりだす
(後半)暗礁に乗り上げ士気が下がる、実装項目やテスト、QA期間がサイレントに削られてゆく
(終末)単純発想で人員を追加投入して更に現場が荒れる、俗に言うToo big to fail状態
「現場のスタッフは原因も対策も知っている」それでも発生するメカニズム
その答えは「現場スタッフには発言力がなく、核心をつく発言をしてもまともに取り合ってもらえず、話しても無駄と悟った結果、時に身を任せる他なくなってしまうため」です。悲劇としか言いようがないことが悪しき典型として常態化しつつあり、繰り返しあちらこちらの現場で発生しています。
さいごに
ソフトウェアやサービス開発は年々複雑さを求められる傾向にあり、社内の人員だけで充足しないことが増え、SESや外部委託先との混成チームになることも増えてきている事と存じます。
開発を請け負う会社は国内外に数多く存在していますが、ITエンジニアの流動性が高い現代においては残念ながら過去の開発実績はさほど有用な判断材料と認め難いのが実情です。
こうした背景から、今後益々能力評価や開発プロジェクト監査、脆弱性診断、負荷テストといった客観性が求められる性質の業務が、需要拡大してくるだろうという見地から、当社を設立するに至りました。
特に、数千万円〜数億円ものプロジェクト規模ともなれば、当事者だけで取引を行うよりも第三者目線で客観的にな立場から貴社の案件をお手伝いさせていただくことで、十二分に費用対効果を出せると確信しております。
社名に恥じることがないよう、恐れ知らずのスタンスで御社のプロジェクトを支援させて頂きますので、お気軽にご相談ください。
ドレッドノード株式会社
代表取締役社長
佐々木 智之
代表者略歴
1996年
Windows 95発売を契機として急速にインターネットが普及し始めた事から、法人向けISPと個人向けモデム直販を手掛けるベンチャー企業にシステムエンジニアとして入社。Sun microsystems社のSPARCstationを筆頭にSGI社、SONYなどの各社UnixワークステーションやCompaqのPCサーバー、Cisco、Ascend、Livingston社のネットワーク機器でネットワーク構築・保守、専用線やフレームリレー網を用いたインターネット・広域網の接続等を手掛ける。
1997年
フリーランスとして独立し、サーバーの保守案件やスポットの開発案件を行いながらApple社PowerMac上で動作するMkLinuxの単行本執筆と付属CD-ROMのオーサリングを手掛ける。
2000年
CD-Rライティングソフトnero、Clone CDを中心に海外のソフトウェアを国内向けにローカライズして販売する同社にてネットワークとサーバーエンジニア、更にはローカライズエンジニアを兼務する。
2002年
吸収合併に伴い、オン・ザ・エッヂ(後にライブドアに社名変更)に転籍。入社直後に担当した初めての案件が旧ライブドアからの業務移管。技術窓口としてポータル移管後、社長室で新規事業を経た後にポータル内のゲーム担当としてMMORPGの国内サービスほかゲームサービス複数を手掛ける。
2006年
PC向けオンラインゲームを展開しようとしていた上場企業に合流し、パソコン向けオンラインゲームの立ち上げと収益化を担う。その功績が認められ、上場企業にて2期四年、取締役CTOを経験した後に任期満了を以って退任。
2011年
モバイル向けのオンラインゲーム市場が過熱感を帯びていた頃、当時未上場だったベンチャー企業にて版権タイトルの責任者を務め、その後は国内外で開発を行っているすべての案件のリリース管理・支援と顧客サポート・品質管理部門を担う。
2019年
当社設立、代表取締役就任。現在に至る。